萩原朔太郎\欢鱼夜曲\歡魚夜曲 

欢鱼夜曲

周而复始繁跃光虫
我向青蓝夜海眺望
瞳孔漫游无边远放
将此息予君身侧献上
那海浪轻柔一如既往
浪花再度被引向远方
小洲渺远轻颤海月之弦
若是在月色皎白的夜晚
首先两人不发一语仅仅
在露台长椅上相坐泪眼
潮风蕴芳鸥鸟常鸣
鱗光泛青水流婉转
病枯恋鱼随之湿润
此刻我将双手伸展
压入之物满溢坚硬。
啊啊高空有繁星轮转
正如盘蛇静寂的潜行。

* 在杂志上发表的时候(也就是初版)最后一行【父母の慈愛戀しやと歌ふなり。】(将父母的慈爱歌颂),推定印错成了同时发表的秋日行语的最后一行。
* 第十七行的“……”是阿朔抹消的,因此就那么保持原样。
* 以上两条注释来自筑摩书房的全集。
* 阿朔在未发表手记里提到:比爱更加鲜活的鱼我称之为恋鱼。这恋鱼在灵肉之间浮游,控制着我的死脉,是游泳的有着清明光辉的个体。

关注

萩原朔太郎\欢鱼夜曲\歡魚夜曲 

歡魚夜曲

光り蟲しげく跳びかへる
夜の海の青き面をや眺むらむ
あてなき瞳遠く放たれ
息らひたまふ君が側へに寄りそへるに
浪はやさしくさしきたり
またひき去る浪
遠き渚に海月のひもはうちふるへ
月しらみわたる夜なれや
言葉なくふたりさしより
涙ぐましき露臺の椅子にうち向ふ
このにほふ潮風にしばなく鴎
鱗光の青きに水流れ散りて
やまずせかれぬ戀魚の身ともなりぬれば
今こそわが手ひらかれ
手はかたくあふるるものを押へたり。
ああかの高きに星あり
……………
しづかに蛇の這ひ行くごとし。

萩原朔太郎\欢鱼夜曲\歡魚夜曲 

初版原文

光り蟲しげく跳びかへる
夜の海の靑き面をゃ眺むらむ
あてなき瞳遠く放たれ
息らひたまふ君が側へ〔に〕寄りそへるに
浪はやさしくさしきたり
またひき去る浪
遠き渚に海月のひもはぅちふるへ
月しらみわたる夜なれや
言葉なくふたりさしょり
淚くましき露臺の椅子にぅち向ふ
このにほふ潮風にしばなく鷗
鱗光の靑きに水流れ散りて
やまずせかれぬ歡魚の身ともなりぬれば
今こそわが手ひらかれ
手はかたくあふる、ものを押へたり。
あ、かの高きに星あり
……………
しづかに蛇の這ひ行くごとし
父母の慈愛戀しやと歌ふなり。

登录以加入对话
雾海

雾海是一个开放且不限制讨论主题的非营利性中文社区,名字来源于德国浪漫主义画家 Friedrich 的画作《雾海上的旅人》。生活总是在雾海中吞吐不定,不管怎么艰辛,他还是站在了这里!希望大家在这里玩的开心~