萩原朔太郎\巡礼纪行\巡禮紀行
巡礼纪行
冰雪严寒、
即使指尖如遭凌迟、
绝顶之处手杖仍锐利生辉、
冰雪七重、
在深深山路、
同行者鱼贯一列、
怀抱鳞伤的心向山峡前行。
向四方轮流眺望、
将那遥远地平线超越、
将那黑色的真冬超越而颤抖高鸣、
啊啊圣地有着灵感的群狼啊、
你的悲伤并不切齿、
你打磨肉身所索求之物乃是、
令呼吸断绝的疾行。
疾行之物形迹不见、
此刻同行者鱼贯一列、
手与手将银铃振响、
雪降之空将飞鸟熏染、
化为热泪盈眶的晚餐。
* いためる:疼痛的
巡禮紀行
きびしく凍りて、
指ちぎれむとすれども、
杖は絶頂(いただき)にするどく光る、
七重の氷雪、
山路ふかみ、
わがともがらは一列に、
いためる心山峽(はざま)たどる。
しだいに四方(よも)を眺むれば、
遠き地平を超え、
黒き眞冬を超えて叫びしんりつす、
ああ聖地靈感の狼ら、
かなしみ切齒(はがみ)なし、
にくしんを研ぎてもとむるものを、
息絶えんとしてかつはしる。
疾走(はし)れるものを見るなかれ、
いまともがらは一列に、
手に手に銀の鈴ふりて、
雪ふる空に鳥を薫じ、
涙ぐましき夕餐(ゆふげ)とはなる。
萩原朔太郎\初夏的祈祷\初夏の祈祷
初夏的祈祷
主啊、
淫欲的圣神啊。
吾等将原野深掘、
在原野与森林中、
每日建设御神的家畜、
此刻初夏到来、
主的双足化为金属、
伴着头顶吹拂的薰风光泽、
吾的家畜在新绿的日荫下安睡、
怀抱神迹的白日绘梦、
啊啊然而、
无论如何在此惨白的湖畔、
惟愿应许我肉亲淫乱的游戏。
此刻初夏到来、
山与原野、
荣光荣光、
愿荣光归于主及吾等。
阿门。
一九一四年五月八日
初夏の祈祷
主よ、
いんよくの聖なる神よ。
われはつちを掘り、
つちをもりて、
日毎におんみの家畜を建設す、
いま初夏きたり、
主のみ足は金屬のごとく、
薫風のいただきにありて輝やき、
われの家畜は新緑の蔭に眠りて、
ふしぎなる白日の夢を畫けり、
ああしばし、
ねがはくはこの湖しろきほとりに、
わがにくしんをしてみだらなる遊戲をなさしめよ。
いま初夏きたる、
野に山に、
榮光榮光、
榮光いんよくの主とその僕(しもべ)にあれ。
あめん。
―一九一四、五、八―
萩原朔太郎\欢鱼夜曲\歡魚夜曲
欢鱼夜曲
周而复始繁跃光虫
我向青蓝夜海眺望
瞳孔漫游无边远放
将此息予君身侧献上
那海浪轻柔一如既往
浪花再度被引向远方
小洲渺远轻颤海月之弦
若是在月色皎白的夜晚
首先两人不发一语仅仅
在露台长椅上相坐泪眼
潮风蕴芳鸥鸟常鸣
鱗光泛青水流婉转
病枯恋鱼随之湿润
此刻我将双手伸展
压入之物满溢坚硬。
啊啊高空有繁星轮转
正如盘蛇静寂的潜行。
* 在杂志上发表的时候(也就是初版)最后一行【父母の慈愛戀しやと歌ふなり。】(将父母的慈爱歌颂),推定印错成了同时发表的秋日行语的最后一行。
* 第十七行的“……”是阿朔抹消的,因此就那么保持原样。
* 以上两条注释来自筑摩书房的全集。
* 阿朔在未发表手记里提到:比爱更加鲜活的鱼我称之为恋鱼。这恋鱼在灵肉之间浮游,控制着我的死脉,是游泳的有着清明光辉的个体。
萩原朔太郎\苍青色的马\蒼ざめた馬
苍青色的马
在冬季多云的 封冻气象之下
在如此抑郁的自然之中
沉默地吞食着路缘草叶的是
悲惨的 支离的 宿命的 因果的 苍青色的马的影子
我向那影的方向动身行去
马的影子仿佛正将我注视。
啊啊快行动起来从此处离去
从我那生涯的银幕当中
此刻 此刻便远离并消去这幻影吧
去相信我的【意志】吧。马啊!
因果地 宿命地 常规地 悲惨地
令那苍青色的影子
从绝望封冻的风景干版中逃离。
* 逃走しろ:逃走的命令形。
蒼ざめた馬
冬の曇天の 凍りついた天氣の下で
そんなに憂鬱な自然の中で
だまつて道ばたの草を食つてる
みじめな
しよんぼりした 宿命の 因果の 蒼ざめた馬の影です
わたしは影の方へうごいて行き
馬の影はわたしを眺めてゐるやうす。
ああはやく動いてそこを去れ
わたしの生涯(らいふ)の映畫幕(すくりーん)から
すぐに すぐに外(ず)りさつてこんな幻像を消してしまへ
私の「意志」を信じたいのだ。馬よ!
因果の 宿命の 定法の みじめなる
絶望の凍りついた風景の乾板から
蒼ざめた影を逃走しろ。
芥川龙之介\恋人\戀人
恋人 一九一五年十一月四日
黄昏 生出稀薄的暗
黑暗 生出苦恼的你
你的头发是 漆黑
被高高举起的花朵也同样
即使失去颜色变得青白
有什么东西 却在其中生息
微弱地
然而 无休无止地——
黄昏生出稀薄的暗
黑暗生出苦恼的你
もの思ひたる:物思いにふけっている・悩んでいる
ほのかなり :うっすらしている。 ほんのりしている。 ぼんやりしている。 かすかだ。
さしかざす: 手、扇、かさ、花の枝などを頭上にあげて、覆いにする。
翻译底本:恒藤恭1915.2.3书简
夕は ほのかなる暗をうみ
暗は ものおもふ汝をうむ
汝の髮は 黑く
かざしたる花も
いろなく靑ざめたれど
何ものか その中にいきづく
かすかに
されど やすみなく――
夕はほのかなる暗をうみ
暗はものおもふ汝をうむ
另一版:新全集
戀 人 一九一五・一一・一四
夕は ほのかなる暗をうみ
暗は ものおもふ汝をうむ
汝の髮は 黑く
かざしたる花も
いろなく靑ざめたれど
何ものか その中にいきづく
かすかに
されど やすみなく――
夕はほのかなる暗をうみ
暗はものおもふ汝をうむ
底本来源均是鬼火
萩原朔太郎\空色之花\空いろの花
空色之花
薄明之时浅光游荡
我的思恋如同空色之花
连是否被人察觉都无法知晓
倚靠着已成废墟的庭园石墙
仅仅沉浸于自己的思绪
在春日浅草之间潜藏的
蛇莓果实依旧赤红
那悲叹的闪耀何等哀伤
空いろの花
かはたれどきの薄らあかりと
空いろの花のわれの想ひを
たれ一人知るひともありやなしや
廢園の石垣にもたれて
わればかりものを思へば
まだ春あさき草のあはひに
蛇いちごの實の赤く
かくばかり嘆き光る哀しさ
* 收录在朔太郎的自笔歌集【ソライロノハナ】(空色之花)里。
* かはたれどき,和たそかれどき非常接近,都是指晦暗不明、阴阳交替、轮廓模糊、光线昏暗的时间。
かはたれどき是由暗转明,无法看清对方的脸,“你是谁呀?”(在那里的你是哪一位?)如此提问的时间;
而たそかれどき是由明转暗。“你是什么?”(是人是魔是狗?)的时间。
实际上这两个词并不光指黄昏,也指早晨,在日本还有逢魔之刻的说法。
萩原朔太郎\草坪之上\芝生の上で
草坪之上
就像幼草萌生新芽那般,只有在这阳光正好的草坪之上,思想才能绵延不断地成长而去。然而那些思想,并不会与任何人,甚至我进行任何的交涉吧。我仅想眺望那青空。就像会溶入那苍天的幻梦之中那样,想去养育的仅仅只是那种思想的幻想而已。而我自己的情绪的影子,就像编织令人怀念的绿荫的梦一般,只想谈论他们的“有情调的思想”。在空中飞翔的小鸟啊。
芝生の上で
若草の芽が萌えるやうに、この日當りのよい芝生の上では、思想が後から後からと成長してくる。けれどるそれらの思想は、私にまで何の交渉があらうぞ。私はただ青空を眺めて居たい。あの蒼天の夢の中に溶けてしまふやうな、さういふ思想の幻想だけを育くみたいのだ。私自身の情緒の影で、なつかしい綠陰の夢をつくるやうな、それらの「情調ある思想」だけを語りたいのだ。空飛ぶ小鳥よ。
萩原朔太郎\胆小的傲慢\小心な高慢
胆小的傲慢
蝙蝠:我栖息在无知的,盲目的,黑暗的洞窟当中。正因如此我所拥有的是,任何生活在白昼之中的鸟都没有的,感觉不可思议的翅膀。
鹭——以轻蔑的语调
在黑暗中生活这件事,对你来说是如此值得夸耀吗?
蝙蝠——以轻蔑的语调
正是!但是尚且不如你炫耀自身的博识。
*「たいていの文學者は、何かの動物に譬へられる。例へば佐藤春夫は鹿であり、芥川龍之介は狐であり、谷崎潤一郎は豹であり、辻潤は山猫の族である。ところで、同じ比喩を言ふならば、室生犀星は蝙蝠である。彼はいつでも、自分だけの暗い洞窟に隠れてゐる。」(室生犀星に就しで)
小心な高慢
蝙蝠:「私は無智で、盲目で、暗い洞窟の中に棲んでゐる。しかしながら私は、どんな白晝の鳥も持たないやうな、不思議な感覺の翼を持つてる。」
鷺——輕蔑した語調で
「お前はそれを自慢するのか?暗黒の中に居ることを。」
蝙蝠——輕蔑した語調で
「さやう!だが君が博識を自慢するほど、それほどには自慢しない。」
萩原朔太郎\手的画像\手の肖像
手的画像
把手的画像挂上吧
挂在四面墙壁上吧
温热的血正绵绵的
从黑色的窗中流至干涸。
有着为了心灵意识的窒息自慰,
有着眩惑妖姬的款待,
有着芳香无比的LIQUEUR,
并且因为这种风月贺宴性质上所存的令人惊异的秘密性
犯罪正被受胎。
看啊,他正化为松青而被贯穿。
* 流れたり:「流れ」加上完了的助动词「たり」。流完了。
* LIQUEUR:利口酒
* まつ:松、末
手の肖像
手の肖像をかけしめよ
壁の四方にかけしめよ
生ぬるき血はめんめんと
黒き窓より流れたり。
心靈意識のための絕息する手淫がある、
眩惑する妖姬の歡待がある、
芳香無比のLIQUEURがある、
而して此の種の風月賀宴はその性質上驚くべき秘密性
犯罪を受胎する。
見ろ、彼はまつ靑になつて貫へて居る。
"如果诗歌是人魂的碎片 那么翻译就是将这些碎片再度唱响"
以萩原朔太郎为主,日本近现代文豪的诗歌翻译魂器。
管理者:@mykaoru