芥川龙之介\诗四篇\詩四篇 1/4
Ⅰ 受胎
いつ受胎したか
それはしらない
たゞ知つてゐるのは
夜と風の音と
さうしてランプの火と――
熱をやんだやうになつて
ふるへながら寐床の上で
ある力づよい壓迫を感じてゐたばかり
夜明けのうすい光が
窓かけのかげからしのびこんで
淚にぬれた私の顏をのぞく時には
部屋の中に私はたゞ獨り
いつも石のやうにだまつてゐた
さう云ふ夜がつゞいて
いつか胎兒のうごくのが
私にわかるやうになつてくると
時々私をさいなむ
胎盤の痛みが
日ごとに強くなつて來た
あゝ神樣
私は手をあはせて
唯かう云ふ
芥川龙之介\诗四篇\詩四篇 1/4
诗四篇
献给井川君
Ⅰ 受胎
是何时受胎的呢
这件事并不知道
唯一知道的是
夜与风声
然后是洋灯的火焰与――
仿佛生病地发热
在颤抖着的睡床上
刚刚感觉到了某种强大力量的压迫
那夜明前的薄光
从窗帘影子的缝隙中偷偷潜入
窥视我泪流满面的脸的时候
房间中的我独自一人
石头一样长久地沉默着
如此的夜晚挥之不去
待到胎动变得能
被我感觉得到的时候
时时责备着我的
胎盘的疼痛
每日都在变得更加强烈
神啊
我握紧了双手
我想说的仅此而已
たばかり:(「…たばかり」の形で)動作が完了してまもない状態にある意を表す。「銀行から引き出した許りのお金」「今出かけた許りだ」
底本:鬼火芥川龍之介書簡抄46/大正四(一九一五)年書簡より(十二) 井川恭宛献詩
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萩原朔太郎\涅槃\涅槃
涅槃
花ざかりなる菩提樹の下
密林の影のふかいところで
かのひとの思惟《おもひ》にうかぶ
理性の、幻想の、情感の、いとも美しい神秘をおもふ。
涅槃は熱病の夜あけにしらむ
青白い月の光のやうだ
憂鬱なる 憂鬱なる
あまりに憂鬱なる厭世思想の
否定の、絶望の、悩みの樹蔭にただよふ静かな月影
哀傷の雲間にうつる合歓の花だ。
涅槃は熱帯の夜明けにひらく
巨大の美しい蓮華の花か
ふしぎな幻想のまらりや熱か
わたしは宗教の秘密をおそれる
ああかの神秘なるひとつのいめえぢ――「美しき死」への誘惑。
涅槃は媚薬の夢にもよほす
ふしぎな淫慾の悶えのやうで
それらのなまめかしい救世《くぜ》の情緒は
春の夜に聴く笛のやうだ。
花ざかりなる菩提樹の下
密林の影のふかいところで
かのひとの思惟《おもひ》にうかぶ
理性の、幻想の、情感の、いとも美しい神秘をおもふ。
萩原朔太郎\坏季节\悪い季節
悪い季節
薄暮の疲労した季節がきた
どこでも室房はうす暗く
慣習のながい疲れをかんずるやうだ
雨は往来にびしよびしよして
貧乏な長屋が並びてゐる。
こんな季節のながいあひだ
ぼくの生活は落魄して
ひどく窮乏になつてしまつた
家具は一隅に投げ倒され
冬の 埃の 薄命の日ざしのなかで
蠅はぶむぶむと窓に飛んでる。
こんな季節のつづく間
ぼくのさびしい訪間者は
老年の よぼよぼした いつも白粉くさい貴婦人です。
ああ彼女こそ僕の昔の恋人
古ぼけた記憶の かあてんの影をさまよひあるく情慾の影の影だ。
こんな白雨のふつてる間
どこにも新しい信仰はありはしない
詩人はありきたりの思想をうたひ
民衆のふるい伝統は畳の上になやんでゐる
ああこの厭やな天気
日ざしの鈍い季節。
ぼくの感情を燃え爛すやうな構想は
ああもう どこにだつてありはしない。
萩原朔太郎\坏季节\悪い季節
本首翻译by噗啵噗啵
坏季节
薄暮那疲劳了的季节已经到来
无论何处的房间都略显昏暗
就像在感受那习惯的漫长疲惫一般
雨水将道路变得湿漉漉
贫穷的排屋并列在一起。
在这般季节的漫长期间
我的生活落魄潦倒
已经变得极为贫困
家具被扔到墙角处
在冬日的 灰尘的 薄命的阳光之中
苍蝇嗡嗡地在窗户上飞翔着。
在这般季节持续期间
我那孤寂的来访者
是年老的 脚步蹒跚的 总散发出妆粉臭气的贵妇人。
啊啊她正是我过去的恋人
是在古旧记忆的 帷幔的暗影中彷徨徘徊的情欲的影子的影子。
在这般白雨洒落期间
无论何处都不存在崭新的信仰
诗人歌唱稀松平常的思想
民众的陈旧传统在叠席上苦恼着
啊啊这讨厌的天气
阳光钝重的季节。
将我的感情熊熊燃烧的构思
啊啊已经 任何地方都不再存在。
萩原朔太郎\五月就死之人\五月の死びと
五月就死之人
这具躯体被生吞活剥
绮丽 静寂 动人极彩渲染其身
那胸口 那嘴唇 那容颜 那手臂
啊啊 被众人以刷毛与膏油湿润
于五月就死的温柔之人啊
我正如金绿盘蛇因痛苦深蜷
内心将粘湿之物感铭
于此【死】之绒毯与肌身摩挲相亲
五月の死びと
この生づくりにされたからだは
きれいに しめやかに なまめかしくも彩色されてる
その胸も その脣も その顏も その腕も
ああ みなどこもしつとりと膏油や刷毛で塗られてゐる。
やさしい五月の死びとよ
わたしは緑金の蛇のやうにのたうちながら
ねばりけのあるものを感觸し
さうして「死」の絨毯に肌身をこすりねりつけた。
* 生づくり=いきづくり=生作り,一种刺身作法
* しめやかに有心静自然凉和静寂的悲哀两种意思,也用在形容女性的优美
* 耶稣被称为“受膏者”。但是他的受难日一般都在四月,不排斥阿朔犯蠢的可能。
* 作者曾经自比五月的贵公子,以及云雀料理里有“五月早晨的新绿与南风令我过上了贵族般的生活。”这一句。他似乎觉得五月是带有贵族风情的月份。
萩原朔太郎\献上给神的歌\神に捧ぐる歌
献上给神的歌
重新纠正偏离的修持
如果我们能够成为温柔的人
黑夜在杨柳的碎影下俯首
独唱大卫王的雅歌
我们在巡礼
即使这旅途满溢悲哀
祈祷此身化为星辰
而前行在崎岖的道路之上
成为就算是深重的寂寞
也能够将其悦纳的义人
吾等是祈望被爱之子
主神啊、愿您降下恩典
神に捧ぐる歌
あしきおこなひをする勿れ
われはやさしきひとなれば
よるも楊柳(やなぎ)の木影にうち伏し
ひとり居てダビテの詩(うた)をうたひなむ
われは巡禮
悲しき旅路にあるとも
わが身にそへる星をたのみて
よこしまの道をな歩みそ
たとしへなく寂しけれども
よきひとはみなかくある者ぞかし
われはいとし子
み神よ、めぐみをたれさせ給へ
* 原文是おこなひ,接近僧侣的“苦行”“修行”,也带有“奉献”的意味。
* 2017.5.17更新:这首诗发表用的笔名是梦想家(夢みるひと)
萩原朔太郎\欢鱼夜曲\歡魚夜曲
初版原文
光り蟲しげく跳びかへる
夜の海の靑き面をゃ眺むらむ
あてなき瞳遠く放たれ
息らひたまふ君が側へ〔に〕寄りそへるに
浪はやさしくさしきたり
またひき去る浪
遠き渚に海月のひもはぅちふるへ
月しらみわたる夜なれや
言葉なくふたりさしょり
淚くましき露臺の椅子にぅち向ふ
このにほふ潮風にしばなく鷗
鱗光の靑きに水流れ散りて
やまずせかれぬ歡魚の身ともなりぬれば
今こそわが手ひらかれ
手はかたくあふる、ものを押へたり。
あ、かの高きに星あり
……………
しづかに蛇の這ひ行くごとし
父母の慈愛戀しやと歌ふなり。
萩原朔太郎\欢鱼夜曲\歡魚夜曲
歡魚夜曲
光り蟲しげく跳びかへる
夜の海の青き面をや眺むらむ
あてなき瞳遠く放たれ
息らひたまふ君が側へに寄りそへるに
浪はやさしくさしきたり
またひき去る浪
遠き渚に海月のひもはうちふるへ
月しらみわたる夜なれや
言葉なくふたりさしより
涙ぐましき露臺の椅子にうち向ふ
このにほふ潮風にしばなく鴎
鱗光の青きに水流れ散りて
やまずせかれぬ戀魚の身ともなりぬれば
今こそわが手ひらかれ
手はかたくあふるるものを押へたり。
ああかの高きに星あり
……………
しづかに蛇の這ひ行くごとし。
萩原朔太郎\欢鱼夜曲\歡魚夜曲
欢鱼夜曲
周而复始繁跃光虫
我向青蓝夜海眺望
瞳孔漫游无边远放
将此息予君身侧献上
那海浪轻柔一如既往
浪花再度被引向远方
小洲渺远轻颤海月之弦
若是在月色皎白的夜晚
首先两人不发一语仅仅
在露台长椅上相坐泪眼
潮风蕴芳鸥鸟常鸣
鱗光泛青水流婉转
病枯恋鱼随之湿润
此刻我将双手伸展
压入之物满溢坚硬。
啊啊高空有繁星轮转
正如盘蛇静寂的潜行。
* 在杂志上发表的时候(也就是初版)最后一行【父母の慈愛戀しやと歌ふなり。】(将父母的慈爱歌颂),推定印错成了同时发表的秋日行语的最后一行。
* 第十七行的“……”是阿朔抹消的,因此就那么保持原样。
* 以上两条注释来自筑摩书房的全集。
* 阿朔在未发表手记里提到:比爱更加鲜活的鱼我称之为恋鱼。这恋鱼在灵肉之间浮游,控制着我的死脉,是游泳的有着清明光辉的个体。
"如果诗歌是人魂的碎片 那么翻译就是将这些碎片再度唱响"
以萩原朔太郎为主,日本近现代文豪的诗歌翻译魂器。
管理者:@mykaoru