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萩原朔太郎\疾患光路\疾患光路 

疾患光路

吾等所前行之路、
敬献菊花而步上之路、
将死供养、
肉身滴血淋漓一路、
肉与鱼、卷心菜之路、
邪淫之路、
在电车轨道的狭路中、
化为狗和牲畜直至纯银、
疾患与感伤的夕暮之路、
啊啊、赤裸的圣者之路。

——十月作——

* 菊:日本葬礼用花
* いつしん:一死、一神、一信、一身

疾患光路

我れのゆく路、
菊を捧げてあゆむ路、
いつしん供養、
にくしんに血をしたたらすの路、
肉さかな、きやべつの路、
邪淫の路、
電車軌道のみちもせに、
犬、畜生をして純銀たらしむる、
疾患せんちめんたる夕ぐれの路、
ああ、素つぱだかの聖者の路。

――十月作――

萩原朔太郎\初夏的祈祷\初夏の祈祷 

初夏的祈祷

主啊、
淫欲的圣神啊。

吾等将原野深掘、
在原野与森林中、
每日建设御神的家畜、
此刻初夏到来、
主的双足化为金属、
伴着头顶吹拂的薰风光泽、
吾的家畜在新绿的日荫下安睡、
怀抱神迹的白日绘梦、
啊啊然而、
无论如何在此惨白的湖畔、
惟愿应许我肉亲淫乱的游戏。

此刻初夏到来、
山与原野、
荣光荣光、
愿荣光归于主及吾等。
阿门。

一九一四年五月八日

初夏の祈祷

主よ、
いんよくの聖なる神よ。

われはつちを掘り、
つちをもりて、
日毎におんみの家畜を建設す、
いま初夏きたり、
主のみ足は金屬のごとく、
薫風のいただきにありて輝やき、
われの家畜は新緑の蔭に眠りて、
ふしぎなる白日の夢を畫けり、
ああしばし、
ねがはくはこの湖しろきほとりに、
わがにくしんをしてみだらなる遊戲をなさしめよ。


いま初夏きたる、
野に山に、
榮光榮光、
榮光いんよくの主とその僕(しもべ)にあれ。
あめん。

―一九一四、五、八―

芥川龙之介\在轻井泽\軽井沢で 下 

某个牧师的脸——肚脐!
 或牧師の顔――臍!
 
崩落到蕾丝和餐巾纸里的道路。
 レエスやナプキンの中へずり落ちる道。
 
碓氷山上的月亮啊,——那月亮正生着一层薄苔呢。
 碓氷山上の月、――月にもかすかに苔が生えてゐる。
 
H老夫人的死,——雾就好像法兰西的幽灵一样。
 H老夫人の死、――霧は仏蘭西の幽霊に似てゐる。
 
肠胃蝇就连水星上也能够成群来去吧。
 馬蝿は水星にも群つて行つた。
 
用额头感觉到了吊床的烦闷。
 ハムモツクを額に感じるうるささ。

雷比胡椒更辛辣。
 雷は胡椒よりも辛い。

有座叫做“巨人的椅子”的山。——看起来像一张不眨眼的脸。
「巨人の椅子」と云う岩のある山、――瞬かない顔が一つ見える。

那个家有着桃色的牙龈。
 あの家は桃色の歯齦をしてゐる。

羊肉要配羊齿叶。
 羊の肉には羊歯の葉を添へ給へ。
 
再见了,手风琴之町。再见了,我的抒情诗时代。
 さやうなら。手風琴の町、さようなら、僕の抒情詩時代。

大正十四年
(大正十四年稿)

芥川龙之介\在轻井泽\軽井沢で 上 

黑马映着风景。
 黒馬に風景が映つてゐる。
 
清晨面包与石竹花同食。
 朝のパンを石竹の花と一しよに食はう。
 
这一群天使正把录音机的录音当作翅膀。
 この一群の天使たちは蓄音機のレコオドを翼にしてゐる。

町边有一棵栗子树。那下面一直在溢出墨水。
 町はづれに栗の木が一本。その下にインクがこぼれてゐる。

试着挠挠青山的话,会滚出几块肥皂的吧。
 青い山をひつ掻いて見給へ。石鹸が幾つもころげ出すだらう。
 
英语新闻包黄瓜。
 英字新聞には黄瓜を包め。
 
有人在那个旅馆里涂蜂蜜。
 誰かあのホテルに蜂蜜を塗つてゐる。
 
M夫人——舌头上沉睡着蝴蝶。
 M夫人――舌の上に蝶が眠つてゐる。
 
F先生——额发正乞讨东西来吃。
 Fさん――額の毛が乞食をしてゐる。
  
O先生——那个胡子是鸵鸟的羽毛吧。
 Oさん――あの口髭は駝鳥の羽根だらう。
 
诗人S・M的话——芦苇是种毛皮吧。
 詩人S・Mの言葉――芒の穂は毛皮だね。

北原白秋\蟾蜍\蟇 

蟾蜍

盛夏白昼的
蟾蜍。
足下、为何如此
寂寞哟。

洁白的女性
以指尖
刺杀、突进
愉快吗。

盛夏白昼的
蟾蜍。
海鼠色的
蟾蜍。

黄金的指环、
切开肢体、
若是血流出来的话
该怎么办哟。

盛夏白昼的
蟾蜍。
海鼠色的
蟾蜍。

* そなた::下目线第二人称
* ひきがへる=ヒキガエル=蟇=癞蛤蟆

夏の昼間(ひるま)の
ひきがへる、
そなたは、なんで
さびしいぞ。

白い女の
指さきで、
刺され、突かれて
うれしいか。

夏の昼間の
ひきがへる、
海鼠色(なまこいろ)した
ひきがへる。

金の指輪に、
肢(て)が切れて、
血でも出したら
何とする。

夏の昼間(ひるま)の
ひきがへる、
海鼠色した
ひきがへる。

萩原朔太郎未发表手记一篇 

此頃僕の内部で何かえたいのわからぬ奇異な光が受胎して居る。そいつがだんだんあばれ出す。併しまだ外壁が厚いので容易に外部へはみ出して来ない。それが非常に苦しい。實際、所産前の室息 的苦惱だ。每日わけのわからないことを紙片に書いて居る。いょいょセンチメンタルの涅槃が近づい て來たやぅに思ふ。天地がまぶしくて瞳がくらみさうだ。九月の太陽は密雲に蓋はれて居る。何をみ ても輪光がみえる。これは歡喜だ。實に針のやうな苦痛だ。絕息だ。たまらない。

ゆうべ久しぶりでエレナに逢つた。エレナとは彼女が浸禮聖號だ。二人で月蝕を見て居た。もう僕と彼女との間には戀はない。倂し戀以上の不可思議な愛がある。それは深く考へるときは戦慄すべきも のだ。僕はいそいで別れた。部屋へかへつてからまつさをになつてふるへて居た。

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萩原朔太郎未发表手记一篇 

此刻我的内部有什么发生了变化。在此处受胎的是,意想不到的奇异的光。它渐渐开始横冲直撞。
然而它被厚重的外壁阻挡,无法出现在外部。这是非常痛苦的。实际是,出生前窒息的苦恼。每日仅仅是,在纸片上书写着不知所谓的话语。在我的脑中,那感伤的涅槃总算是要临近了。天地灼眼,令人目眩。九月的太阳被密云覆盖。视野被轮光环绕。此乃欢喜。却实为针刺般的苦痛。无法呼吸。难以忍耐。
傍晚与许久不见的爱莲娜相逢。爱莲娜是她的教名。两个人一起观赏了月食。那存在于我与她之间的并不是恋情,而是恋情以上的不可思议的爱。那是,某种深入思考的话会带来颤栗的感情。我们匆匆分别之后,我在被深蓝浸没的房间中颤抖着。

萩原朔太郎\小出的新路\小出新道 

小出的新路

如果在这里开辟新道路
也不应当向市中心直通而去。
我站在这新路的交叉口
也无法穷尽那四方寂寞的地平线
暗淡抑郁的太阳啊
太阳在连排的屋檐里低垂
森林里的杂木也被杂乱地伐倒。
不行啊 不能在思绪里沉浮
在那我无法实践叛行的路上
新的树木仍然在被砍伐殆尽。

小出新道

ここに道路の新開せるは
直(ちよく)として市街に通ずるならん。
われこの新道の交路に立てど
さびしき四方(よも)の地平をきはめず
暗鬱なる日かな
天日家竝の軒に低くして
林の雜木まばらに伐られたり。
いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。

萩原朔太郎\群鸟\一群の鳥 

一群の鳥

遠く行く一群の鳥
かへりみて
我を想へば涙はてなし。

悲しくも人に隱れて
故郷に歌などつくる
我の果敢なさ。

寂しさに少しく慣れて
なにがなし
この田舍をば好しと思へり。

かの遠き赤城を望む
わが部屋の窓に咲きたる
木犀の花。

クロバアの上に寢ころび
空ばかり眺めてありし
中學の庭。

ともすれば學校を休み
泣き濡れて
小出の林を歩きし昔。

その昔よく逢曳したる
公園の側の波宜亭
今も尚あり。

酒のめど
このごろ醉はぬさびしさ
うたへども
ああああ遂に涙出でざり。

いまも尚
歌つくることを止めぬや
かく問ひし
わが古き友の嘲りの色。

新昇のサロンに來り
夜おそく
口笛を吹く我のいとしさ。

時にふと
盃杯を投げてすすり泣く
いとほしやと母も流石思へり。

米專の店に飾れる
馬鹿面の人形に我が似しと
思ふ悲しさ。

死ぬよりは尚よろしかり
とかくして
今日もまた安らかに寢床に入れり

眞劍になりて嬉しと思ふこと
いつの日か
我が身の上にめぐり來たるならむ

公園のベンチにもたれ
哀しみて
遠き淺間の煙を眺む。

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萩原朔太郎\群鸟\一群の鳥 

群鸟

群鸟远行
数度凝视着
想到自己使我落泪不止。

对人将悲哀隐藏
写歌将故乡歌颂
乃我之无常。

少许习惯了寂寞
无论如何
觉得有些喜欢这乡下。

遥望那遥远的赤城
在我窗下开放的
木樨花。

在三叶草上翻来覆去
只是在中学庭院里眺望天空的
往昔。

有时逃课
在小出的林中漫步
被眼泪濡湿的过去。

那时常常与人密会的
公园旁的波宜亭
如今尚在。

饮酒的目标
那时是酒醉后的寂寞
倾吐的歌也是
啊啊啊啊地涕泪横流。

现在也仍然
在写歌吗
我的朋友面露嘲色
询问着我。

访问新开的沙龙
深夜
吹着口哨的我惹人怜爱。

有时突然
推翻杯盘啜泣起来
就连母亲也时时觉得我烦人。

米店装饰着的
笨蛋脸的人偶与我相似
这种想法真是悲哀。

好死不如赖活着
总之
今天也安然地钻进了被窝。

那些喜不自胜的思绪
或许某天
也会环绕在我的周身吧。

凭靠在公园的长椅上
悲哀地
眺望着遥远浅间的烟。

一九一三年八月。

萩原朔太郎\崩毁的肉身\くづれる肉體 

崩毁的肉身

我曾在仿佛正有蝙蝠群生的野原之中
将崩毁而去的肉身之柱眺望。
那在黑暗中寂寥地颤抖着的
在影中蠢动摇曳的亡者散发草般的腥臭
丑陋如同蛆虫腹行过的腐肉。
啊啊在以影拖尾的景色当中
我的灵魂将酥麻的恐怖网罗
那就像已从港口而来 从有着亡灵的遥远群岛横渡而来的船那般。
这并不是风 也绝不是雨
这一切无非是痴缠着爱欲烦恼的黑暗畏惧。
并且我崩毁而去的影子
曾在弄蛇人吹起的愚钝音色中悲伤地哭泣。

くづれる肉體

蝙蝠のむらがつてゐる野原の中で
わたしはくづれてゆく肉體の柱(はしら)をながめた。
それは宵闇にさびしくふるへて
影にそよぐ死(しに)びと草(ぐさ)のやうになまぐさく
ぞろぞろと蛆蟲の這ふ腐肉のやうに醜くかつた。
ああこの影を曳く景色のなかで
わたしの靈魂はむずがゆい恐怖をつかむ
それは港からきた船のやうに 遠く亡靈のゐる島島を渡つてきた。
それは風でもない 雨でもない
そのすべては愛欲のなやみにまつはる暗い恐れだ。
さうして蛇つかひの吹く鈍い音色に
わたしのくづれてゆく影がさびしく泣いた。

萩原朔太郎\九月上旬的午后\九月上旬の午後 

九月上旬的午后

室外光芒晃眼
若是那路石也令人难受地苍白
就暂且倚靠在窗前
啜吸那质朴果物的汁液吧

啊啊朋友啊 人生啊
我若去旷野则旷野泛青
当我踏上旷野 所有线条微振
青青草原盎然铺成床铺
被创造之物无不满溢喜悦

朋友啊 握住这御身的手吧
打开这扇门吧
不久此刻就会伴着阴影长逝
来吧紧握这手
让我们在那深空的深处前行

一九一三年九月十日

* すすら:啜ら

九月上旬の午後

そとには光烈しく
鋪石も白くなやましければ
しばし窓によりかかり
つつましく果ものの汁をすすらむ

ああ友よ 人生よ
我が野に行けば野は青く
わが蹈むところすべて線にふるへたり
青草原はいきるののしとね
生れしものそのすみずみに悦べり

友よ おん身の手をもつて
この扉をばあけたまへ
いま少し日かげとなりしに
いざかたく手を組みて
我等深空のもとを歩みゆかば

(一九一三、九、一○)

蜗牛角上争何事?
石火光中寄此身。

欢迎来到赛博田端。
这里是以萩原朔太郎为主,日本近现代文豪的诗歌翻译魂器。
管理者是@[email protected],有问题请尽量往那边联系。
会讲一些个人的笔记和感想。

定期(约一篇每日)发送以前在LOF发过,但是已经被LOF吞掉了的诗歌翻译。
翻译者绝大部分是我,如果是我以外的翻译者翻译的,会在开头进行声明。

接受投稿要求但能力所限不一定会翻译。
不会回FO,这个魂器不会回评论,请把这个魂器当做同样的死人看待。

それでは、ごゆっくり。

萩原朔太郎\永日和赞\永日和讃 

永日和赞

信者南向祈愿、
小麦一心、
游鱼一心、
吾等挚真、
浮游于空、
十指含悲相连、
于灵魂中
殷勤将佛渴盼。

* いつしん还是可能是一心、也可能是一信、还可能是一神

永日和讃

ひとのいのりはみなみをむき、
むぎはいつしん、
うをはいつしん、
われはしんじつ、
そらにうかびて、
ゆびとゆびと哀しみつれ、
たましひは
ねもごろにほとけをしたふ。

萩原朔太郎\佛陀\佛陀 

佛陀
  或は 世界の謎

赭土(あかつち)の多い丘陵地方の
さびしい洞窟の中に眠つてゐるひとよ
君は貝でもない 骨でもない 物でもない。
さうして磯草の枯れた砂地に
ふるく錆びついた時計のやうでもないではないか。
ああ 君は「眞理」の影か 幽靈か
いくとせもいくとせもそこに坐つてゐる
ふしぎの魚のやうに生きてゐる木乃伊(みいら)よ。
このたへがたくさびしい荒野の涯で
海はかうかうと空に鳴り
大海嘯(おほつなみ)の遠く押しよせてくるひびきがきこえる。
君の耳はそれを聽くか?
久遠(くをん)のひと 佛陀よ!

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萩原朔太郎\佛陀\佛陀 

佛陀
或者是 世界之谜

有着大片赭土的丘陵地方的
寂寞洞窟之中正沉睡着的人啊
你不是贝壳 不是骨头 也不是物品。
应该也并非像是
矶草持续干枯的砂地中生锈的古钟一般吧。
啊啊 你是「真理」之影吗 是幽灵吗
一直千载百年百年千载不变地坐在那里
不可思议的鱼一般生活着的那木乃伊啊。
在这难以忍耐地寂寞的荒野之涯中
海在空中如此地高鸣
听见了大海啸从远方奔涌而来的声响。
你的耳朵听到那声音了吗?
久远的人 佛陀啊!

* 赭土:
赭,赤土也。《说文》。
赤地,寸草不生的土地。亦指田野寸草不生的荒芜景象。
这里说不清意思是红土地还是寸草不生的土地。
* 磯草の枯れた:枯れた是个他动词。正确的翻译出来应该是“草被枯”,然而这在中文里也太怪了?
* 试着模仿了一下阿朔原本的句子长度。

萩原朔太郎\感谢\感謝 

感谢

火烧云从荒野尽头前行
向晚的云雀在鱼贯飞落
若有心向那沉没的地方寻找
就会有隐约的残香袭上双颊
夜之暗影啊将帷幕低垂

自然的辉光满溢于地面
此刻正向山中迤逦而行
仰面所见苍色天空身姿优柔
夜幕降临将现身守月的姬宫
勿听那高唱 人子们哟

啊啊你仰起疲倦的前额
仿佛开悟那不灭的生命
向着那叩响心胸的神明
将赞美与感谢尽皆敬奉

* 2017.11.12 杂志发表时候的笔名为“美棹”,第二次发表的时候与另一首诗《古杯》同时发表,总题为《绝句二篇》。

感謝

野のはて夕暮雲かへりて
しだいに落ちくる夕雲雀の
有心(うしん)の調さへしづみゆけば
かすかに頬(ほほ)うつ香ひありて
夜の闇頒ちて幕(とばり)くだる。

自然は地にみつ光なりや
今日はめぐりて山に入れど
見よかの大空姿優(いう)に
夜の守月姫宮をいでて
唱ふをきかずや人の子等は。

ああ君倦(う)んずる額をあげて
不滅の生命(いのち)をさとり得なば
胸うちたたいて大神には
讚美と感謝をささげてずや。

萩原朔太郎\于松叶间华耀\松葉に光る 

于松叶间华耀

燃烧
燃烧
铝在燃烧
降雪在罐中燃烧
于松叶间华耀
缢死的尸体在燃烧
壮绝的火焰在燃烧。

* いみじ:温柔、美丽、独当一面和过分、恐怖、悲伤、无情、超麻烦。

松葉に光る

燃えあがる
燃えあがる
あるみにうむのもえあがる
雪ふるなべにもえあがる
松葉に光る
縊死の屍體のもえあがる
いみじき炎もえあがる。

初出版本:
炎上

もえあがる
もえあがる
あるみにうむのもえあがる
雪ふるなべにもえあがる
松葉に光る
縊死の屍體のもえあがる
いみじき炎もえあがる

萩原朔太郎\蛇莓\蛇苺 

蛇莓

莓果熟成
草叶翠阴
细小薄影
转为赤红
其名未知
莓果熟成

仰望高空
日光远行
在煌煌夏日的午后沉落
隐入野路
高歌之物

魔啊
汝名中带蛇
仍未熟悉
那一节
盘绕之物的咒歌

生于山野
无光之身
命运悲离
与世逆行
有感

被诅咒般
夏日
妖艳的
与蛊物
接吻相交的蛇莓

蛇苺

實は成りぬ
草葉かげ
小(ささ)やかに
赤うして
名も知らぬ
實は成りぬ

大空みれば
日は遠しや
輝輝たる夏の午(ひる)さがり
野路に隱(かく)れて
唱ふもの

魔よ
名を蛇と呼ばれて
拗者(すねもの)の
呪(のろ)ひ歌(うた)
節なれぬ

野に生ひて
光なき身の
運命(さだめ)悲しや
世(よ)を逆(さかしま)に
感じては

のろはれし
夏の日を
妖艷の
蠱物と
接吻(くちづけ)交す蛇苺

* なれぬ:熟れぬ、慣れぬ。ラ行下二段活用の動詞「熟る」「慣る」の未然形である「熟れ」「慣れ」に、打消の助動詞「ず」の連体形が付いた形。

萩原朔太郎\虚无之鸦\虚無の鴉 

正好入手了北京联合出版社的吠月诗集,摘录同一首诗,以供各位参考一下该书的翻译质量。

虚无之鸦

我曾是虚无之鸦
在冬至时高高的屋顶上张开嘴
如风向标一样咆哮。
不管是何季节
我所没有的是一切。

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雾海

雾海是一个开放且不限制讨论主题的非营利性中文社区,名字来源于德国浪漫主义画家 Friedrich 的画作《雾海上的旅人》。生活总是在雾海中吞吐不定,不管怎么艰辛,他还是站在了这里!希望大家在这里玩的开心~