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萩原朔太郎\魚と人と幼兒\鱼,人,幼儿 

魚と人と幼兒 (人魚詩社の畏友に捧ぐ)

暗くして寂しき南國の夜、
三個の十字架は荒廢せる砂丘の上に建てられたり、
その上に沈默せる三個の死屍、
遠く海軟風の快き微流を感ず。
三種の聲は各々の隔絶せる地位より來り各々異なる音級を有す、
即ち魚は滄海の底にありてソプラノ、幼兒は天上にありてアルト、
人は地上にありてテノール、
何人も彼等の實體を視ること能はず。

合唱
よるがくる、
あさがくる、
よるがくる、
あさがくる。
わがゆくみちは異端の路、
禁制の路、邪淫の路、
感傷の路、狂氣の路、
わがゆくみちは異端の路、
鮮血の路、苛責の路、
ろまんちつくの天界の路、
眞實一路、十字架の路。
よるがくる
あさがくる
さんたまりや

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萩原朔太郎\魚と人と幼兒\鱼,人,幼儿 

鱼,人,幼儿 (献给人鱼诗社的诤友)

南国的夜晚沉寂晦暗,
三座十字架矗立在荒废沙丘。
其上沉默的三具尸体,
身拂海风渺远愉快的微流。
三种声音由于其地位的隔绝,拥有各自迥异的音级;
深海之底的女高音是鱼之声,
云端之上的中音是幼儿之声,
大地之中的男高音是人之声。
无人能将他们的实体窥视。

月深夜落,
日生朝临,
月深夜落,
日生朝临,
吾等所行之路乃异端之路,
禁制之路,邪淫之路,
感伤之路,狂气之路,
吾等所行之路乃异端之路,
鲜血之路,苛责之路,
乃是浪漫放恣的天界之路,
真实一路,十字架之路。
月深夜落,
日生朝临,
圣洁玛利亚。

* 人鱼诗社:山村暮鸟、室生犀星、萩原朔太郎三人敬慕北原白秋,并互相认同对方的作品;于大正4年(1915)3月,为了研究诗、宗教与音乐所创立。
另有一首诗:諷詩 —人魚詩社の人たちに与ふ—,青空有。
* 鱼:室生犀星,别号鱼眠洞。

萩原朔太郎\月光与水母\月光と海月 

月光与水母

为捉住正在月光中潜游的
那水母的群集
手离开了身体伸向前去
数次向远方伸出
被水藻卷曲缠绕
沉没于月光之水中
我的身体玻璃般仅余残骸
冰冷透明流动着水乳交融
灵魂锐利地冻结
向深处沉落
而如同溺水般 祈祷浮上。

此方彼方群生着的
苍蓝在持续轻颤
水母在那月光之中潜游。

* とす:とする
* 新版把祈祷的部分删去了。大意是
【玛利亚啊,
快些倾听我的愿望,令翡翠的水母悦乐吧。】
* まつはり:まつはる

月光と海月

月光の中を泳ぎいで
むらがるくらげを捉へんとす
手はからだをはなれてのびゆき
しきりに遠きにさしのべらる
もぐさにまつはり
月光の水にひたりて
わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか
つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに
たましひは凍えんとし
ふかみにしづみ
溺るるごとくなりて祈りあぐ。

かしこにここにむらがり
さ青にふるへつつ
くらげは月光のなかを泳ぎいづ。

萩原朔太郎\放弃\あきらめ 

放弃

放弃吧
放弃吧
正如我所放弃之物那般
银盘流瀑
翻开的洋纸浊青

我明明想成为温柔的佳人
那在我身侧伫立之物
却指示着死鱼翻过来的肚皮
对我相授那莫名空虚的妖光

啊啊入口处树木丛生
若是花朵也祈求被灌注灵智
我的心分外喜悦
急忙起来出门打开了窗户

放弃吧
放弃吧
正如我所放弃之物那般
景色奇妙 夜晚黎明
洋红色漫天流淌

* うるみたり:うるみ,濁ったり、色が不鮮明になったりすること。
* により:似寄り
* よしや縦しや:たとえ。仮に。
* いきかひ:行き通ふ
* やは:文末の場合は活用語の終止形・已然形に付く。

あきらめ

あきらめよ
あきらめよ
わがあきらむることにより
銀盤に瀑流れ出でて
開きし洋紙は青くうるみたり

われはやさしくよきひとなるに
わが側へに立つもの
死魚の裏返る腹を指さし
なにとてかの空しき妖光を教ふるならむ

ああ戸口に樹木あり
よしや花には霊智のいきかひを求めずすとも
わが心あはれみ
とく起き出でて窓開かでやは

あきらめよ
あきらめよ
わがあきらむることにより
景色たへなるよるの黎明
さしもに洋紅を流したり

萩原朔太郎\从旅途归来的巡礼之歌\たびよりかへれる巡禮のうた/ 

从旅途归来的巡礼之歌

从以色列归来的我 长身立于落雪之上

* いすらへる=イスラエル=以色列
* 废稿:神国巡礼归 长身立落雪

たびよりかへれる巡禮のうた

いすらへるよりかへり われはゆきのうへにたちぬ

萩原朔太郎\空空如也的家的晚餐\空家の晚食 

空空如也的家的晚餐

在黄色的洋灯之下
和家人一起吃着饭
没有鱼没有肉也没有蔬菜 剩下的只有干掉的米粒而已

那是在化为伽蓝的空空如也的家之中
搬家当晚所做的事情啊。

空家の晚食

黄色い洋燈の下で
家族といっしよに飯をくつた
魚も肉も野菜もなく 乾からびた米粒ばかりが残ってゐた。

がらんとした空家の中で
引っ越しの晩の出來事である。

萩原朔太郎\思想或许是一种匠心\思想は一つの意匠であるか 

思想或许是一种匠心

在郁郁葱葱繁茂着的森林树影中
在让一种思想驰骋的同时
佛感受到苍明的自然
将怎样的冥想都令其生动的
将怎样的涅槃都能融入般的
如此美丽的月夜注视。

「思想或许是一种匠心」
佛一边踏着月影前行
一边向他温情的心中寻访。

思想は一つの意匠であるか

鬱蒼としげつた森林の樹木のかげで
ひとつの思想を歩ませながら
佛は蒼明の自然を感じた
どんな瞑想をもいきいきとさせ
どんな涅槃にも溶け入るやうな
そんな美しい月夜をみた。

「思想は一つの意匠であるか」
佛は月影を踏み行きながら
かれのやさしい心にたづねた。

萩原朔太郎\敌\敵 

敌人常常在哄笑着。如果不这样的话,会惹得什么东西的表象生气吗?

敵は常に哄笑してゐる。さうでもなければ、何者の表象が怒らせるのか?

萩原朔太郎\烧白的手\輝やける手 

烧白的手

从墓园的砂砾当中
结缘的手腕生辉
喇嘛苍白尸蜡的手散发辐射
即使行将腐烂
铀制的光芒亦如此悲哀。

啊啊 如有故乡生命应是惨白
秋日香华于掌中衰败
苍白肢体有萤火点缀
墓石悲痛哀伤终日不止

看啊 墓园中手套银白
辐射的手指松弛
石英向腐烂堕落
在我们深重的感伤之中
结缘的、喇嘛的手在生辉

輝やける手

おくつきの砂より
けちえんの手くびは光る
かがやく白きらうまちずむの屍蝋の手
指くされども
らうらんと光り哀しむ。

ああ故郷にあればいのち青ざめ
手にも秋くさの香華おとろへ
青らみ肢體に螢を點じ
ひねもす墓石にいたみ感ず。

みよ おくつきに銀のてぶくろ
かがやき指はひらかれ
石英の腐りたる
われが烈しき感傷に
けちえんの、らうまちずむの手は光る。

萩原朔太郎\鬼灯啊\ほほづきよ 

鬼灯啊

鬼灯啊
在某种怀想中泣下泪来吧
被含在女人的口中
将男人心中的悲情
用秘而不露的声音哭泣吧

因为微不足道的话语
人就会被憎恨呀
然而心血来潮的日子里
心慌意乱的男子汉气概
又是多么可爱呀

萩原朔太郎\德国黑的文章\獨逸黑的文章 

「德国黑的文章」
断章数篇

帽子
以防万一。——说不定下面其实有头没脑呢!(作为幻想风格)

人境
猫以肖似人类的姿态,端坐于家中。(作为幻想风格)

教育
儿童系列教材中,小学读本的第一课是在家庭中学习的。花、鸽子、斗笠、雨伞、白桐、美人蕉。身不修亲之过。——校园的梅花树、可不能去折啊。

耳朵
有耳在山腹之中。

「獨逸黑的文章」
斷章數篇

帽子
萬一の場合を思へ。——その下に若し頭腦が無かつたならば!(幻想風のものとして)

人境
猫が人間のやうすをして、家の中に坐つてゐる。(幻想風のものとして)

敎育
兒童等集まり、小學讀本第一課を習ふの家なり。ハナ、ハト、ミノ、かサ、キリ、かンナ。修身敎へて親に仕へ。——校庭ノ梅ノ木、折ツテハィケマセン。


山の中腹に耳がある。

萩原朔太郎\从极光之处\極光地方から 

从极光之处

就像海豹一般,想要在能够仰视极光的冰面上,茫然地“自失”地坐在那里。那里时过境迁。在没有昼夜的极光之处,永远都是黄昏般的光线正迟钝悲哀的幽灭着的处所。啊啊,想在那遥远的北极圈的冰上,像海豹一样呆坐。想要永远地,永远地,自失地,在思维的薄暗之海中漂浮着,将一种孤独寂寥的幻象凝视。

極光地方から

海豹のやうに、極光の見える氷の上で、ぼんやりと「自分を忘れて」坐つてゐたい。そこに時劫がすぎ去つて行く。晝夜のない極光地方の、いつも暮れ方のやうな光線が、鈍く悲しげに幽滅するところ。ああその遠い北極圈の氷の上で、ぼんやりと海豹のやうに坐つて居たい。永遠に、永遠に、自分を忘れて、思惟のほの暗い海に浮ぶ、一つの侘しい幻象を眺めて居たいのです。

萩原朔太郎\家畜\家畜 

家畜

明丽的皓月已在天边升起
若是地面也已明光灿烂的话
小小的白羊们啊
向家的屋檐下踏足吧
踏响沉静而不觉落泪的动物足音吧。

* 花やか:其实最接近的意思是“花团锦簇的”

 家畜

花やかな月が空にのぼつた
げに大地のあかるいことは。
小さな白い羊たちよ
家の屋根の下にお這入り
しづかに涙ぐましく動物の足調子をふんで。

北原白秋\蚂蚁\蟻 

 蟻

おほらかに、
いとおほらかに、
大(おほ)きなる鬱金(うこん)の色の花の面(おも)。

日は真昼(まひる)、
時は極熱(ごくねつ)、
ひたおもて日射(ひざし)にくわつと照りかへる。

時に、われ
世(よ)の蜜(みつ)もとめ
雄蕋(ゆうずゐ)の林の底をさまよひぬ。

光の斑(ふ)
燬(や)けつ、断(ちぎ)れつ、
豹(へう)のごと燃(も)えつつ湿(し)める径(みち)の隈(くま)。

風吹かず。
仰ふげば空(そら)は
烈々(れつれつ)と鬱金(うこん)を篩(ふる)ふ蕋(ずゐ)の花。

さらに、聞く、
爛(ただ)れ、饐(す)えばみ、
ふつふつと苦痛(くつう)をかもす蜜の息。

楽欲(げうよく)の
極みか、甘き
寂寞(じやくまく)の大光明(だいくわうみやう)、に喘(あへ)ぐ時。

人界(にんがい)の
七谷(ななたに)隔(へだ)て、
丁々(とうとう)と白檀(びやくだん)を伐(う)つ斧(をの)の音(おと)。

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北原白秋\蚂蚁\蟻 

蚂蚁

繁多的,
百斑千斓的,
郁金色表面的花朵盛装绽放

天空的正午
时间的极热
直面日照辐射的闪耀光华

有时、我们
追逐着世上的甜蜜
在雄蕊森林的底部彷徨

光斑
燃落、拒否
燃烧花豹斑纹的沉寂拐角

风起
仰望着的苍穹是
烈烈的郁金色筛过的花蕊

再、听吧
糜烂的、腐败的
沸腾与苦痛酿造的蜜之息

乐欲的
极致、甘甜
寂寞的大光明、喘息之时

人界啊
被与七谷隔开
砍伐白檀的结末斧音

* しめる=水汽 衰败 灭火 冷静 有很多意思 这儿选了沉寂

萩原朔太郎\梦蝶\蝶を夢む 

蝶を夢む

座敷のなかで 大きなあつぼつたい翼(はね)をひろげる
蝶のちひさな 醜い顏とその長い觸手と
紙のやうにひろがる あつぼつたいつばさの重みと。
わたしは白い寢床のなかで眼をさましてゐる。
しづかにわたしは夢の記憶をたどらうとする
夢はあはれにさびしい秋の夕べの物語
水のほとりにしづみゆく落日と
しぜんに腐りゆく古き空家にかんするかなしい物語。

夢をみながら わたしは幼な兒のやうに泣いてゐた
たよりのない幼な兒の魂が
空家の庭に生える草むらの中で しめつぽいひきがへるのやうに泣いてゐた。
もつともせつない幼な兒の感情が
とほい水邊のうすらあかりを戀するやうに思はれた
ながいながい時間のあひだ わたしは夢をみて泣いてゐたやうだ。

あたらしい座敷のなかで 蝶が翼(はね)をひろげてゐる
白い あつぼつたい 紙のやうな翼(はね)をふるはしてゐる。

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萩原朔太郎\梦蝶\蝶を夢む 

梦蝶

房间深处 舒张着巨大而厚实的绵羽
蝴蝶细小的 丑陋的脸和那绵长的触手和
那厚实羽翼的沉重 如同纸张般舒展。
我在苍白的床铺里睁开了眼睛。
我寂然地去探寻着那梦的记忆
那忧伤幻梦乃是悲哀秋日黄昏之事
是在水边沉落的落日与
在自然腐朽而去的古老空屋中被禁锢的伤感之事。

将那幻梦注视 我正如同稚儿般号哭
无依无靠的稚儿的灵魂
在空屋庭园丛生的群草中 如同湿粘的蟾蜍般悲号着。
本已抑郁的那稚儿的感情
被看作将遥远水边的薄光眷恋那般
在漫长的漫长的时间当中 我注视着那幻梦而泪流不止。

崭新的房间深处 蝴蝶正舒展着绵羽
洁白的 厚实的 如同纸张般的羽翼在震颤。

萩原朔太郎\在夜行列车的窗口\夜汽車の窓で 

在夜行列车的窗口

夜行列车中,灯光昏暗,在浑浊的空气里,所有人都陷入了沉睡。若是有一个人醒来打开窗户的话,夜风触摸着冰冷的肌肤,看到在暗夜的黑暗的原野上飞着的,不停地飞舞着的飞蛾。啊啊,贯通这黑暗的,恐怖的景色吧!在深夜的轰轰作响之中,我的夜行列车要往何处,往何处去呢?

夜汽車の窓で

 夜汽車の中で、電燈は暗く、沈鬱した空氣の中で、人人は深い眠りに落ちてゐる。一人起きて窓をひらけば、夜風はつめたく肌にふれ、闇夜の暗黒な野原を飛ぶ、しきりに飛ぶ火蟲をみる。ああこの眞つ暗な恐ろしい景色を貫通する! 深夜の轟轟といふ響の中で、いづこへ、いづこへ、私の夜汽車は行かうとするのか。

萩原朔太郎\青空\靑空 

青空
表现诗派

这个修长的烟筒
如同女性皓腕那般浑圆
高耸直入云端
天空或许是清明的弧球
但无论哪里都没有支撑它的重心
这份全景如同大象一般
感觉到了奇妙膨大着的梦境

靑空
    表現詩派

このながい烟筒(えんとつ)は
をんなの圓い腕のやうで
空にによつきり
空は靑明な弧球ですが
どこにも重心の支へがない
この全景は象のやうで
妙に澎大の夢をかんじさせる。

萩原朔太郎\无眼之鱼\目無し魚 

目無し魚

底ひなき井戸の中にも住みなれて
わが目無し魚はよろこべり
時しらぬ暗闇の家にはあれど
凍えたる碧水のそよぐことなければ
今日も時はいちじくの乳としたたり
明日もまたかくて遠き方より步み過ぐらむ
底しらぬ水の中にも
うごめける鱗ひかりて
肌靑く 嘆く 侘しさ
もとより魚は靈感の世界を離れ
ひとり にぶく つめたく
いきものの吐息もかがで住みければ
かつはここらへて死せる心の哀傷を
それともたれか知るべしやは
たまたまこの身を果敢なみて
底なき底をうかがへば
わが目無し魚の鰭もりんりんと
かの不思議なる青き歡喜も
たちまちに、我がよろこびとぞ成りにける。

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雾海

雾海是一个开放且不限制讨论主题的非营利性中文社区,名字来源于德国浪漫主义画家 Friedrich 的画作《雾海上的旅人》。生活总是在雾海中吞吐不定,不管怎么艰辛,他还是站在了这里!希望大家在这里玩的开心~